出張ドンツキ・佐賀レポート

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(鹿島市浜町)

出張ドンツキレポート、今回は九州の佐賀県よりお送りします。
佐賀県には魅力的なドンツキがきっとある。という期待的観測のもと、
会長・齋藤が現地を訪ねてまいりました。

佐賀県は九州の北部、東西を福岡・長崎の両県にはさまれ、
そのどちらへの交通も至便な地勢だけに、
行き止まりが多いというイメージはあまりなされにくいかも知れません。
(そもそも、「行き止まりの多そうな県」というイメージ自体が意味不明な気がないでもないですが…)
ともあれ、佐賀県でなぜドンツキなのか?
そこにその可能性をうかがわせるいくつかの要件を見出しました。

勿体ぶる必要もありませんので順を追って説明に入りますと、
まずは佐賀県でも有明海に面した、佐賀平野を実際にご覧いただきましょう。

GoogleMapでこの界隈を拡大してゆくと…

このように平野じゅうに市街郊外構わず、
縦横無尽に巡らされた水路の多さに気付かされます。
もはや多いなどというレヴェルではなく、まるで迷路のよう。
迷路、ということは、そこに行き止まり、
すなわちドンツキとなっている空間が数多く存在するのではないか?
そのような期待のもとに、彼の地を訪ねてみることにしました。

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佐嘉神社付近。いかにも水の都を思わせる風景です。(佐賀市)

■佐賀ドンツキその1【クリークドンツキ】

これらの水のネットワークは「クリーク」と呼ばれている用水路で、
学校の地理の授業で習わされた気がしないでもありませんが、
佐賀平野は北に山脈を背負った内陸地形で降水量が少ないために、
平野全体を使って水利を確保するシステムとして、
江戸時代には確立されていたもののようです。
これらのクリークは、おとなり福岡県の筑後平野も合わせた
有明海に面した平野一帯に見られます。

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住居がクリークにせり出して、石柱で支えられています。(神埼市)

このように市街郊外ところ構わず巡らされており、
背後を水路に囲われた個人宅および住宅地を認める事ができました。
住民は常に背水の陣を敷きつつ、日々を送っているわけです。

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建物同士をつないでいる橋もありました。
個人宅専用の橋という事でしょうか、まさしくプライ橋(ばし)ー?。

その中で特に気になる場所を見つけました。
地図で見る限り、道路や耕作地沿いに真っ直ぐに伸びた大抵のクリークは、
おそらく近世以降に大規模な計画のもとで築かれたものでしょうが、
それらのところどころに混じって、どうも不思議な形をした、
クリークに囲われた集落があります。

地図で見ると、ちょっとすごい形をしています。

現在、これらの多くが寺社の境内となっていたり、
城跡も見られるため、その起源の古さをうかがわせます。

その中のひとつ「横武クリーク公園」を実際に訪ねてみました。

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一見、集落全体をぐるっと堀で囲った環濠集落
(すぐそばにある吉野ヶ里遺跡などがその一例です
農耕民の原初的集落形態として、その起源は古いようです)
に印象が近いですが、集落の外側を堀で囲うというよりも、
池に小島がいくつも浮かんでいるようにも見えます。
陸地の行き止まりが多いのか、水路の行き止まりが多いのか、
一目で検討がつきません。

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目の前に公園の建物『葦辺の館』が見えるのですが、
クリークに行く手を阻まれて、公園に入ることができません。

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回り道したあげくにようやく近づいてみると、建物は休館日でした。

続きまして、
佐賀ドンツキ・その2をご紹介します。

それは建物にあります。
佐賀で見られる民家には独特の形式があり、
「クド造り」と呼ばれています。

■佐賀ドンツキその2【クド造りドンツキ】

クドとはかまどのことを表すのでしょう。
建物の棟形状が直角に曲がっており、囲い込むように建っているわけです。
ここまでならば、東北地方にも見られる曲がり屋と同様ですが、
中には、さらに折れ曲がりが加わって凹型になっているものもあります、
この形状、まさしくドンツキであると言えるのではないでしょうか?

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このような建物です。(鹿島市・鹿島城跡付近)
あいにく凹んだ部分に回り込めず、背後からの写真になってしまいましたが、


上空写真で見ますと、いかにも美しい凹型です。

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L字型(鹿島市浜町)

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L字型(長崎県雲仙市神代町・旧鍋島領)

他にも実例を探るべくいくつかの町を訪ね歩いてみましたが、
調査の範囲で見つけられたのは、せいぜいL字型までで、
残念ながら、目指す凹型を正面に認めることはできませんでした。
中には四方を囲った回型もあると言われていますから、佐賀の民家、ゆめゆめ油断がなりません。

というわけで、
以上、行き止まりの水路・クリークドンツキ
凹型のクド造り民家・ドンツキ民家をもって、
佐賀県をドンツキ県として認定したいのでありますが、
もう一つ余談があります。

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佐賀城跡、その堀端にひとつのドンツキ路地があり、
その奥が寺の境内につながっており、
そこに大きな石碑が建っていました。

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石碑には「竜造寺隆信公碑」ときざまれています。

■佐賀ドンツキその3【ドンツキ大名】

九州の戦国史でも有名な竜造寺隆信、ここ佐賀城を拠点に、
いくたびの下剋上を経て、九州でも最大の勢力を築き上げます。
ところがその矢先、圧倒的大軍を引き連れて、
島原半島の沖田畷にて薩摩の島津氏に決戦を挑んだまではいいですが、
島津軍の戦術に見事にハマり、大敗北を喫したのみならず、
隆信自身この戦いで、首を取られ命を落としてしまいます。

この時島津軍が用いた戦術が、島津のお家芸というべき、
釣り野伏(つりのぶせ)で、
まず軍を3隊に分け、左右の軍は伏兵として隠れます。
中央の本隊は不利を装って退却しつつ敵をおびき寄せます。
そして、敵の軍が深入りしたタイミングを見計らって
敵の3方向より包囲殲滅に出るという高度な戦術です。
敵軍の前に人為的なドンツキをつくりだす、
いわばドンツキ戦法と言っても過言ではありません。

そんなわけで、九州の戦国の雄、竜造寺隆信は、
ドンツキで生まれ、その死もドンツキで、
というドンツキ大名に他ならないのでした。
彼をドンツキ大名として、推してまいりたい所存であります。


【クリーク】は、バス釣りの方々に注目はあるものの、
散策して楽しむ関わり方といった見方はさほどなされていないようですし、
【クド造り】民家は、その価値は認められつつも、
時代とともにその数が失われつつあります。
また、
【ドンツキ大名】も他の華やかな九州の戦国武将の人気に比べますと、
見劣りがしがちでもあります。

それぞれに時流に対し厳しい現状ではありますが、
そんな、逆境だからこその発想の転換をもって、新たな価値の創出が可能なのではないか。
そのような期待をもって、佐賀レポートを終えることにします。

(文責・齋藤)

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