ドンツキクエストin 彦根 5/5 レポート

ドンツキ発祥の地(?)彦根でドンツキを追う!

日時:2015年5月5日(火)13:00〜16:30
参加人数:9名(途中離脱も含む)

当協会の名称でもあるどんつき、この言葉の発祥地はどこにあるのか?
「どんつき」は行き止まりや突き当たり全般を言いあらわす、
おもに関西圏で呼び慣わされている用語であることは分かっているものの、
いつどこで誰がどのようにして使いはじめた言葉なのか、
その源流を追おうとすると、その実体はいまいちはっきりしません。
しかし、確かなことは分からないながらも、その手がかりとして可能性をうかがわせる町として、
ここ滋賀県の城下町、彦根に光が当たります。
ドンツキ協会ではかねてより、ここ彦根こそが
「どんつき」の生まれたて町なのではないか、と疑惑を抱いています。

彦根は国宝・彦根城を擁する城下町。
琵琶湖の東湖畔に位置する、東西交通の要所に位置するその立地から、
江戸時代においては徳川家康の腹心でる四天王のひとり、井伊家に天下普請の城を築かせ、
代々西国大名の反乱に対する抑えとしてきました。
幕末の動乱に遭いながらも、奇跡的にも彦根城をはじめ、その城下町も、
江戸時代のまち割りを濃く残す数少ない都市として知られています。
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彦根城下より、彦根城本丸(以下、写真は奥君の撮影です)

近年、彦根城が築城400周年を迎え、
巷のひこにゃんブームとともに注目の集まる彦根ですが、その一方で、
「お城とひこにゃんだけが彦根ではない」と、彦根の城下や街道などの歴史的景観や事物を掘り起こし、
彦根のまちへの理解を深める活動も行われています。
今回、ドンツキクエストの開催の求めにこころよく応じてくださった、鈴木さんもそのひとり。
鈴木さんは市につとめるかたわら、
彦根の江戸時代の古地図と現在の地図を見比べながら巡ることのできる地図を製作して、
彦根に埋もれた郷土文化を発掘し、発信する活動をおこなっています。

これらの地図や、これまでも郷土資料館や地元の定期刊行誌などを参考に調べたなかで、
「どんつき」の用語はたびたび見かけることがありました。
彦根城下において、町の構造を説明する用語として、
「くいちがい(道路が十字に交差せず、若干ずれている状態を表す」と並んで
「どんつき」という言葉が踊っています。
彦根のまちを語る上ではどんつきは外せない存在なのでしょうか。
今回のクエストで追ってみたいと思います。

集合は午後1時、彦根駅にて。
前日5月4日は一日中雨模様でしたが、この日はいわば五月晴れ。
打って変わっての快晴で風もここちよく、これほどのベストコンディションもそうありません。
ご参加者は7名。うち近郊を合わせた地元の方がほとんど、鈴木さんの人づてに集まってくださいました。
そして広島県の尾道より奥君が駆けつけてくれました。
奥君は若いながらも尾道の郷土史に通じ、
尾道の路地・小路については知らないことのないほどのエキスパート。
鈴木さんとお二人とも、
昨年尾道で開催された『路地サミット』に前後して知り合う仲になりました。
それぞれに今後とも地元での活躍が期待される若者たちです。

さて、クエストに旅立ちますが、
今回のナビゲートは大まかなルートを示した上で、鈴木さんにお任せする事にします。
協会でも今回巡る予定の路地が記載されている地図は用意しましたが、
今回は鈴木さんの方で作成されている彦根の案内つき地図を合わせて用いました。
こちらは江戸時代の古地図も合わせて記載されており、
現在との違いを学びながら彦根を巡ることができます。

彦根駅を出て、駅前道路から路地を北におれるとさっそくドンツキが。
観光名所や大きな道路はほとんど通らないのがドンツキクエスト。
さっそくらしくなって参りました。
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彦根駅周辺も城下町の地割りに含まれており、
地図全体を見た感じ碁盤目に整備された印象がありましたが、
この路地の行き着く先はドンツキ。
古地図と見比べると、このあたりに細かく宅地が区割りされた足軽屋敷群があり、
その中にきっちりドンツキが描かれていました。
道幅もせまく、かなり古いもののようです。

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ドンツキ奥は空き地や駐車場のようになっていましたが、確かに行き止まりです。

続いてその近くの路地。
こちらはドンツキでも再び同じ通りに戻ってしまう「回遊・出戻り型」
こちらも古地図に載っています。
途中で家屋の庇や空中廊下をくぐり抜ける、通行をためらうタイプですが。
こういった物件のあるまちは、暮らす方の土地の活用方法に対して試行錯誤を重ねた経緯があり、
概して面白いといえるかもしれません。
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次のドンツキまで若干移動が続きます。
今回、彦根でクエストを開催するにあたって不安であったのが、
「地図を見た限り、彦根にはドンツキはそんなに多くない」
ことでした。
このことは鈴木さんも気にかけていたようですが。
しかし要は質です。いいドンツキを探り当てましょう。

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駅前通りを南に渡ってすぐに、広めのドンツキがありました。
古地図と比べると、昔は抜けられたもののようです。
大通りの建物拡張のためか、通路がせき止められてしまったもよう。
ドンツキをなくすことが都市の近代化かといえば、そうでもなさそうです。

次の物件は、事前に地図で調査した中では最も期待をかけていました。
これが本当にドンツキならば、
細道をぐねぐねと折れつつ行く、大規模な「カミナリ型」です。
事前にここがドンツキか否か、鈴木さんに問いただしてみたところ、答えをためらった上
「行ってみればわかります」とのこと。果たして実態は?

何とも不思議な物件でした。
路地の入り口で細い抜け道になり、横手に郵便局の駐車場を塀越しに眺めつつ
奥に進むところまでは予想通りでしたが、そこから小高い丘を登り、尾根づたいに進みつつ、再び丘を降りて水路を渡り、着いた先が市営駐車場(市の用地)というものでした。
結果的に駐車場はすんなり通り抜けられるため、引き返しを強いられるドンツキではありませんでした。

そういえば先ほどから、行き止まりの奥が通れるのか通れないのか判然としない空き地や駐車場ばかりで、建物の壁や塀で突き当たるいかにもドンツキらしいドンツキとの出会いがありません。これではまるで、しどろもどろの受け答えを繰り返す国会の答弁みたいだ、と若干の不安を覚えつつ先へ進みます。

市街地に起伏の変化の少ない彦根で、唐突な丘の出現に意外な思いをしましたが、こちらこそが彦根城の外堀を囲んでいた土塁であったわけです。これらの土塁は宅地化によって町中に埋もれてしまい、ふと見た限りではわかりにくくなってしまったようです。

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近場に土塁ドンツキがありました。
ここでようやくドンツキらしいドンツキと出会うことができました。
「政治家の答弁のようなドンツキ」はお詫びして撤回します。

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四番町スクエアで若干の休憩を挟み、
今度は彦根城下の南側のドンツキを目指します。
こここそが、今回のクエストの本命であります。

彦根城に限らず、多くの近世城下町の特徴として、
城に近い場所に上級武士の邸宅が配置され、
下級武士はそれより外側へと身分や役職によってそれぞれがまとまった居住区として整備されていました。
ここ彦根では、内堀・中堀・外堀と三重の堀が掘られ、
藩の重臣は中堀より内側に、町人の町は街道沿いに、
そして足軽の居住区はいくつかの足軽組屋敷としてまとまった形で形成され、
城下を取り囲むように配置されています。
これから向かう城下南側は、善利組足軽。
足軽組屋敷でも最大の規模を誇る区画にあたります。

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彦根西高校裏手にあったドンツキ。
奥に裏門が見えますが、奥のグラウンドが校舎の建て替えの際に土が盛られかさ上げによって
門が開閉不能となり、正真正銘のドンツキになった次第です。
こういった微笑ましいいわく付きのドンツキは、当協会の好物です。

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もうひとつ、学校裏手ドンツキ。(齋藤撮影)
こちらは立派な桜の樹が。花見のシーズンでも桜を独占して堪能することができるでしょう。

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そしてこの途中で見かけた意味不明なドンツキ。(齋藤)
コンクリートの架け橋の先がフェンスで行き止まり。アパートに建て替えた際にできたものなのでしょう。
このような、彦根の深い歴史に関わるようなかならずしも堅苦しくない、
息抜きに楽しめるドンツキも彦根にはありました。

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こちらは車は奥で曲がれない条件つきドンツキ。看板には「車曲がれません。バックした方がはやい」と逆ギレぎみの「逆ギレドンツキ」

芹川の土手にやってきました。ここにいよいよ本クエスト最大の目的地があります。

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芹川土手は、江戸時代に治水の為に植えられた桜の老樹が並ぶ新緑の快適な道でした。

彦根の足軽組屋敷群は、ほぼ等面積に区分けされた敷地を、幅2.7m(一間半)前後の、これまたほぼ等幅の路地が巡らされ行き交います。江戸時代より現在に至るまで大きく変わらず受け継がれていました。

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路地は基本的に短冊状に巡らされており、それによって整った屋敷群を構成しているのですが、その中にただ一角のみ、やや他と異にする不整形な区画があり、お目当てのドンツキはここにあります。
以前彦根の資料館で調べた際に、彦根のどんつきの例として掲載されていたのもこの場所です。

ドンツキの形状は、一本の目抜き路地より左右にドンツキが連なる、
ドンツキ分類学上では『ヘリンボン型』に分類されているドンツキ。
古地図で確認すると、こちらも当時のまま。

こちらは、足軽組屋敷の風致の保存・活用に取り組まれている渡邊さんのお宅があるドンツキ。
こどもの日向けデコレーションも華やかです。
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また一方では、三方をブロック塀に囲われた、いかにもドンツキらしいドンツキ。
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風致や来歴ともに素晴らしく、
今回のベストドンツキに文句なしの認定です。

さて、ここでこれまで訪れたドンツキの検証をしてみます。

彦根のドンツキ、その数は決して多くはなかったのですが、
いくつかの特徴が存在する事がうかがえました。
その中で最も気になった点が、
『彦根城下ドンツキは、ほぼすべてが昔、足軽組屋敷地区であった』
ということに尽きるでしょう。
その理由はいったい何なのか、考察します。

彦根の郷土資料では、
「敵の軍勢の侵入を防ぐために、道路の交差点をずらし(くいちがい)たり、
行き止まりを設け(どんつき)たりしました」などといった理由付けがなされています。
なるほど、それならば藩の軍役を担う足軽の居住区にあることも納得できますし、
ふだんは平和な日常の空間をとっさに軍事目的に転じさせるには、
最初から道を行き止まりに仕立てておくのは、ひょっとしたら有効な手段なのかもしれません。

しかしこの説には疑問が残ります。
史実上実際に彦根城下が戦場となったことはなかったので、実証された訳ではありませんが、
本気で軍事目的で設けたのであれば、もっとドンツキの数が多かったに違いなく、
また、本気で敵の軍勢を惑わせるつもりであれば、
中世の山城のような畝堀のようにドンツキも城の方を向いて仕掛けられていたに違いありません。
しかし実際のドンツキはそれほど多くもなく、
またそれぞれがあさっての方向を向いており、あくまで軍事には素人の意見ですが、
敵の軍勢を食い止める足止めの機能は期待できそうにありません。
「城下町だから防衛が理由」という理由付けは、
例えば、遺跡から発掘された用途不明な器具を
「宗教儀式で用いられた」と片付けてしまうような、安易かつ危うさも潜んではいないでしょうか。

以上のような疑問を抱いたものでしたが、鈴木さんをはじめ、
クエストご参加の地元の方がとうにお見通しであったようです。
そしてそのなぞをとくヒントこそこのヘリンボン型ドンツキにはありました。
その理由とは・・・?

と、あまり何でも大っぴらに書いてしまうと
皆様にも今後彦根に訪れていただく意味が薄らいでしまいますので詳細は割愛しますが、
「都市計画の必然で生じてしまった」すんなりと納得のゆく説明でございました。
軍事目的ようなハードボイルドなカッコ良さではなくとも、
そんな理由だからこそ、町の探求は面白いのではないか、と思っております。

さて、今回のクエストで得た
「彦根のドンツキは、元・足軽組屋敷に集中している」
という法則を、他エリアでも確認すべく、最後に河原町を訪ねます。
ここ河原町は、通り沿いは町人の町ながら、一つ路地を入れば足軽組屋敷に踏み入れるエリアです。
なるほど、こちらも法則通りでした。

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ある場所は抜け道ぽく、

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またとある場所は電柱タイプもあり、

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トマソンドンツキもあり、

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最後はガツンと蔵にどんついて今回のクエスト終了です

ご参加のみなさま、本当に充実したお時間(少なくとも私にとっては)を設けて下さり、
誠にありがとうございました。
今回の突然のクエスト依頼を快くお引き受けくださった鈴木さん、
わざわざ尾道から駆けつけてくださり、素敵な写真を残してくださった奥君、
には改めてお礼申し上げます。

このあと、喫茶店で今回訪れたドンツキについて真剣な議論が交わされました。
内容も本当にドンツキに関する純粋な議論であり、
このようなことはこれまでにありませんでした。
「ドンツキを巡ればまちの個性がわかる」ことをねらいにクエストに望みましたが、
今回、その目的が果たせたようです。

記・齋藤

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