下関【イザチ】レポート

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以前、2012年5月にドンツキ協会が東京FMに出演したことがありましたが、
その放送を聴いて下さったというご縁で、山口県下関でのまちづくり活動に取り組まれている建築家・中野さんと知り合う機会があり、わざわざ東京・向島まで訪ねて下さいました。
当協会も2013年1月にそのご縁を頼って下関『イザチ』を案内していただきました。

中野さんのご活動されている、地域づくり機構【ちきこう】→http://chikikou.com

今回ご紹介するのはドンツキばかりではありませんが、
下関の活動を是非ともご紹介しようと思います。
訪問日からずいぶん日にちが経ってしまいました。。。

下関は山口県の、つまりは本州の最西端に位置し、古くは九州へ、さらには海を渡って大陸へ渡るために、また近世では、北前船の航路が日本海と瀬戸内海とを分ける交通の拠点であり続けた土地です。
それだけに、歴史の表舞台となることが多く、古くは源平の壇之浦の合戦から幕末は維新回天の地、日清戦争の講和会議・下関会議など、いくつもの歴史の転換点に立ち会った場所でした。
それだけに歴史を伝える史跡も多く、山口県内でも有数の観光地と言えます。

さきほど挙げた『イザチ』と呼ばれる場所は、JR下関駅より北西へ少し歩いた先にあります。
イザチは正式な町名ではなく、今浦・伊崎・新地の3つの町名をあわせた通称で、
中野さんのまちづくり活動も、この地域を拠点に行われています。

【イザチ】の場所はこのあたり

しかし、イザチももちろん同じく下関市内なのですが、
観光地としてにぎやかと言えるのは、フグで有名な唐戸市場、藩邸や古い土壁の残る長府、そして関門海峡を九州へ渡った先の門司港レトロなどで、『イザチ』は世間的に見ればあまり知られていない場所かもしれません。

中野さんが関わっておられるプロジェクトの一つで、
イザチの歴史や魅力あるスポットをまとめた「イザチマップ」を作成しました。
そのマップを見ると、ここイザチが下関の発展を支えてきた豊かな履歴を経てきた町であることがわかります。

しかし同時に、史跡だけではなく散歩、路地を巡る散歩を楽しめる町だということも分りますね。
むしろ、エライ人たちの足あとよりも、今ある生活文化を活かすかたちでのまちづくりを考えておられるようです。

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イザチは戦火の被害がすくなく、昔ながらの道や建物も残されています。
ここは車が通るのがやっとの路地、この道の一本となりに海岸道路が通っていますが、
それはきっと後に埋め立ててできたもので、かつてはこの道が海のそばだったのかもしれません。

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そしてこのような路地の町では例外でないのでしょうか、
空き家となっている家屋があります。【ちきこう】では、それらの再生事業も視野に入れているようです。

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遊廓のあった界隈の路地がやはりおもしろいですね。
高杉晋作ら幕末の志士たちがこの界隈に出入りしては重要な機密が話し合われたり、
あるいは芸者さんを相手にどんちゃん騒ぎでも行われたのでしょうか?

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上の路地の一本山側に、このようなアップダウンのある路地があります。
路地は背後の山のふもと沿いに続いています。

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これら2つの路地をこのまま進むと、このような屋根のかかった場所で合流します。
屋根付き路地(ドンツキではありませんでした)はやはり西日本では一般的のようです。

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こちらは関門海峡の大瀬戸に対して、小瀬戸と呼ばれる小門海峡。現在は水門によってふさがれてしまいましたが、かつては、この海峡から日本海側へ行き来できたそうです。
壇ノ浦の合戦で海底に沈んだ安徳天皇のご遺骸が実はここに流れ着いたという伝説があります。

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こちらは厳島神社。
境内に鐘の代わりに吊り下げられているのが、鐘ではなく巨大な太鼓。
これは、幕末期の四境戦争で高杉晋作率いる奇兵隊が、
幕府方の小倉藩との戦いに勝利し、小倉城から持ち帰った戦利品です。
除夜の鐘の代わりに叩かれたりするのでしょうか?

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高台にのぼったところに桜山神社というお宮さんがあります。
ここでは、高杉晋作の発意によって、志半ばにして倒れた長州志士らの魂をまつる招魂社が立てられています。
吉田松陰を中心に、松下村塾の双璧と称される晋作と久坂玄瑞を筆頭に、入江九一、吉田敏麿らの名前が並んでいます。

ところで、ここイザチにもドンツキがあるのでしょうか?
ここに1つ、いわくのあるドンツキをご紹介します。

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このドンツキなのですが、奥には井戸がありました。

【ひょうたん井戸】という名前が付けられています。
ここが「高杉晋作が身を潜めた井戸」なのだそうです。
晋作が政敵の追っ手から逃げる際に逃げ込んだ井戸というのがこちらだそうで、
追っ手を撒くまで潜んでいたせいで、それが結核の原因であったと伝えています。

◆ひょうたん井戸
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この伝説がどこまで本当かはわかりませんが、
日本史上数少ないヒーローの伝説にドンツキがからんでいたというのは、
何か意味を持つものではないだろうかと、こじつけて考えてみたくなります。

と、ごく短時間の滞在でこのようにイザチをひととおり巡ってまいりましたが、
それが可能だったのは突然の訪問にもかかわらず、案内に応じていただけた中野さんのご厚意によるものでした。

ここイザチにも、我らが向島と共通の抱えている問題があるようにも見受けられました。
なかなかお互い答えの見えてこない問題ではありますが、今後、なんらかの形で知恵を出し合って、
相互の問題解決に有益となる関係が築けることを願っております。

(齋藤・記)

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